デビューから14年、Hey! Say! JUMPを好きでいるということ。【デビュー14周年に向けて】

久しぶりにじゃんぷの記事をあげます。

今日はHey! Say! JUMPのデビュー14周年の前日。14年目の最後の日。

少し早いけれど、言ってしまおう。

 

Hey! Say! JUMP、デビュー14周年おめでとうございます。

 

バレーボールのサポーターとして集められた、年齢も経歴もバラバラな10人。

 

1位に向かって爆走中です。

バレーボールの控え室で言われたあの日から、もう14年が経ち、明日15年目を迎える。

そして、私もJUMP担15年目を迎える。

 

そんな14年目の最後の日、いただきハイジャンプでエモ企画と来たもんだ。

『今だからこそ言えるお前のいいところ』

『今だからこそ言えるお前にずっと聞けなかったこと』

『今だからこそ言えるお前にやめてほしいこと』

『今だからこそ言えるお前へのありがとう』

本音がどんどこ飛び出して、テレビを目の前にして泣いた。土曜日の昼間から泣いた。

 

私はじゃんぷから始まって、色んなグループを並行して応援してきたけれど、正直じゃんぷは彼らの本音を聞ける機会が異様に少なかったな〜と思う。

 

デビュー当時、最年長のやぶたかが17歳、高校三年生を終える年。最年少は小学生。じゅにあ歴がとことん少ないメンバーもいた。

 

若くしてデビューしたことに、メディアも盛り立てたし、話題にもなった。けどその裏で、同年代で歴の長いじゅにあや、少し先輩のじゅにあを差し置いてのデビューとなり、デビューコンはそんな先輩もバックにつけてのコンサート。お客さんは入らず、アリーナはすべてステージで潰し、本人たちは恐縮と必死が入り交じってた。

 

エリート街道なんて言われてたけど、デビューして2年目はシングル1枚も出せず、アルバムが出せたのは3年目。

グループ全員の冠番組なんてなかったし(やっと始まったヤンヤンJUMPは最初の数回を除き数人でしか出なくなった)、バラエティだって誰かがゲストで出るとなればひとつひとつ数えて喜ぶくらいには地上波に出なかった。出ても爪痕残せず、毎回見るのに緊張していた。

なんだか年中現場だけはあって、アリーナコンサートをしていたものの、デビュー数年後のドームでは客席が埋まらずに黒幕で潰したこともあった。

 

その時々で、悔しさとか、葛藤とか、色んな思いがあったと思う。だけど、路線としては正統派アイドル、裏を見せないスタンスがずっとあり、はたまたそんな思いや葛藤を見せるだけの結果がなかなか出せなかったこともあって、

彼らを応援してきたはずなのに、彼らの思いや意思が見えなさすぎて疎通できていないなと思うことは多かった。

 

それでも、じゃんぷから離れられなかったのは、自担であるやまださまが、ずっと真っ直ぐにジャニーズとしてのお仕事をしてくれて、グループ全員で横並びで歩きたいという気持ちだけは、昔から変わらずに言葉や態度で示し続けてくれたから。

 

グループとして完全に足踏み状態となった2009年、やまださまはじゃんぷとしてではなく、NYC boysとして紅白への出演が決定した。緊張にまみれていて、見ているこっちが泣きそうだったのを覚えている。NYC boysはその後、B.I.Shadowの4人から離れて3人でNYCという公式グループとなり、活動が続けられることとなった。やまださまと知念ちゃんは、公式的に掛け持ちという立場になったことになる。

 

2012年、初めてHey! Say! JUMP全員が主演となった舞台『JOHNNYS' World』が決定。殺陣や客席上の綱渡り、過酷なアクション多数の公演が連日103公演。ジャニーズの歴史に残る舞台の主演にHey! Say! JUMPが抜擢されたこと、これは本当にすごいことだった。

 

この頃すでにお芝居にのめり込み、多くのドラマをこなしていたやまださまは、ジャニワの稽古と並行して、数々の名だたる先輩が主演を務めてきた『金田一少年の事件簿』の単独スペシャルドラマの主演として、ありたんとともに撮影をしていた。

 

この頃、やまださまがアイドル誌で語った言葉。

「ものすごい量の仕事をこなしています(苦笑)。山田が久々に音を上げている。これは珍しいことだと思うよ」

今でこそ忙しいとか大変とかいう言葉も普通に見かけるけれど、当時は本当に珍しいことだった。だからこれを読んだことはとても印象に残ってる。

 

そして、金田一少年の事件簿の主題歌で、やまださまのソロデビューが決まる。

のちに、当初はHey! Say! JUMPでのシングルになるはずで、舞台の稽古中に呼び出され、ソロデビューになることが知らされたと語られた。

 

やまださまはじゅにあの頃、同期や同年代が次々とマイクを持ち、グループ入りしていく中で自分はグループに入れずにいたことをデビュー当時語っている。

そんなやまださまにとってHey! Say! JUMPというグループは、人一倍思い入れがあって、「家族みたい」で、いつもどんな時も「グループ」としてみんなが横並びで歩くことを願い、そのために努力をしてきた。

だからこそ、心身ともに追い詰められていた時期に、また自分だけひとり違う場所へ飛び抜けてしまうことが心から嫌だったのだと思う。奇しくもこの約1年前、NEWSから2人が脱退して大きな話題となり、やまださまもソロデビューとともに脱退するのではないかとかいう根も葉もない噂が持ち上がっていたというのも、きっと少なからずやまださまを苦しめたのだろうとやま担は思う。

やまださまはソロデビューを果たした時、こんなことを言っていた。それは2013年年明けすぐ。「マイナスからプラスを学んで成長できた」と2012年を表したとき。

正直、ソロデビューが決まった瞬間は、僕自身は気が進まないというか…。JUMPのメンバーに、どんな顔して会ったらいいんだろうと。いっぱい悩みました。だったら、ソロデビューを明るく打ち明けて応援してもらって、JUMPにつながるように頑張ればいいんじゃないかと。JUMPに必要だった壁だと思えば、全然楽しくできます。

 

ソロデビューなんて普通は喜ばしいことなのに、「JUMPに必要だった壁」と言い切った。

 

このあたりから、ずっと見えないと思っていた彼らの本音が少しづつ見えるようになってきたと思った瞬間でもあった。

 

このことは数年後、また詳細に語られる。

もう何もかもがわからなくなって。マネージャーさんに会いに行ったんです。"今、入ってるスケジュールが終わったら、やめさせてください。僕にはもうムリです"って。

そんな時、ありたんとゅぅゃが

「これをきっかけに、でっかい風穴あけてくれ!いい風吹き込んでくれ」

そう言って背中を押してくれたこと。

 

あの頃のしんどさを、またありありと語られて、そこまでしても活動を止めなかったやまださまに、また泣いてしまったのを覚えている。

 

そして今日、いただきハイジャンプで本人から直に語られた。

山田「俺がさ、絶体絶命だったっていうかっていうかもう無理ってなった時あったじゃない、1回。ジャニワの時かな。ソロデビューっていうか、ソロでCDを出す、色んな経緯があってそういう流れになって。でも俺は絶対に嫌って言ってたじゃない」

有岡「言ってたね。頑なになんか受け入れようとしなかったよね」

山田「ホントに嫌で。JUMPを売り出すタイミングでなぜ俺1人?ってやっぱり思って。めっちゃマネージャーさん、当時のね、とか事務所の人に、初めて俺反抗したんじゃないかな」

有岡「ジャニーさんとも軽くあったよね(笑)」

山田「ジャニーさんとも結構バチバチに戦ってて」

有岡「なんでJUMPじゃないんだって言ってましたよね」

山田「もうホント辞めるくらいの、もう無理ですって、まあそれだけじゃなくて色々あったんだけど。そんときに、それを察して雄也と大ちゃんがなんか俺んとこに来てくれて、『やっておいで』ってポンって言ってくれて。『なんでやらないの?』みたいな感じでそれぐらいのテンションで、やっておいでよって。『山田がちゃんと大きい風穴開けて、風通しをJUMPに良くしてきてくれよ』ってだいちゃんが言ってくれたとき、マジで俺家で泣いたからね」

有岡「あぁ、そう」

山田「俺泣いた泣いた、あぁやっぱ良いグループだったなって思ったし」

有岡「その時の山田のソロの活動がきっかけで、結果的にJUMPのファンになってくれたって方もたぶん少なからずいると思うから、いい結果には繋がっているなと今でも思ってます」

山田「ありがとうございます…」

 

 

ちゃんと応援したいから、ちゃんとわかりたいと思うのに、傷は綺麗に隠してなかなか教えてくれない。

肝心なことは教えてくれない彼氏のよう。

 

でも、そんなHey! Say! JUMPに沢山沢山支えられてきたことは本当に確かで、

Hey! Say! JUMPはいつも王道のアイドルソングを歌ってくれて、

有無を言わさず夢の世界に連れ込んでくれて、

心を満たしてくれる存在だから。

 

だから、それはある意味正解で。

アイドルとしての正解で。

裏の大変さ、苦悩、それらを見せない、王道のアイドルでいてくれる存在で。

そんなHey! Say! JUMPが大好きだから、ここまでずっと一緒に歩んでこれた。

 

 

ここ最近は、商標登録のトンチキには磨きをかけつつ、第2のデビューから極めてきたダンスも健在のまま、世間一般が目を止めやすいアーティスティックな側面まで広げちゃって、なんだかもう最強になってきてしまって、頭を抱えとるけど(いい意味で)、

 

いただきハイジャンプで語ってくれた嘘なき本音。

しんどかった時期のことを、オンゴーイングではなく、もう何年も経ってから思い出としてだけ笑って語ってくれる8人。

そんな場を作ってくれたいただきハイジャンプ。

 

ずっと彼らの本音知りたい、そう思ってきたけど、

なんだかもう、今の彼らが笑っていてくれさえすれば、それで良いと思えるようになった。

 

 

ああ、また泣けてきた。

 

 

手の鳴る方へ行こう

足音鳴らし強く

小さな地図を集めて繋いできた大きな絵

迷ってもHey!  ワンツーSay! ジャンプ

これからもどうぞよろしく

YOU & I / Hey! Say! JUMP

 

ありがとう、そして15年目も、

これからもどうぞよろしく。